大事な事をすぐ忘れてしまう。
▶気づいた
それが自分の問題点だなと今日気づいた。今までは理想ばかりを追って生きていたように思う。自分はこんな人間だからこれができるはずだ。自信をもつこと、ナルシストである事は無意味ではない。「自信はOK 過信はNG」とベッキーの本に書いていたけれど、その通りだ。過信しているつもりはなかったし、過信しないために自分を疑い続ける事が重要だ。とこの記事で書いたばかりだ。
▶棚橋弘季
最近気になっている大人が2人いる。そのうちの1人が棚橋弘季さんだ。彼がfacebookでこう呟いていた。
▶アイデンティティ
自分のことを考えてみる。アイデンティティを明確にしていないことは明確だ。近頃、悶々としていることは月並みな悩みではあるが、理想と現実の差だ。だから疲れてしまった。具体的には、由利本荘市で'由利本荘かふぇ'という由利本荘かふぇを開く事と'フリーペーパー'を出すというのが自分の団体の目標ではあった。しかし、自分の実力と仲間の数では由利本荘かふぇのみで精一杯だったのだ。仲間を集めようと30代の人に頼んでみたりしたものの、前屈みではない。いわゆる老害であり、'オッサン化'だ。結局は若者のその行動を客観的に見ているだけだった。それに屈してしまった自分も悔しいけれど、それを動かすほどの力が欲しいと思った。そして自分は若者のそれに前屈みで話しを聞ける大人になりたい。
「大事な事を忘れないための5つの方法」などというテーマにすれば完全なるライフハック記事になってしまうが、そんな記事を書く気はさらさらない。とても個人的なことを書きたい。
▶友人との話
自分にとって本当に大事なものとは何なのか。それは身の回りの人なんだろうと思う。Mr.Children の「彩り」という曲で、目の前にある単純作業が回り回って目の前の人を幸せにしている。という主旨の歌詞がある。近頃、ある友人と電話した話しがこの話題と繋がる。高校の友人で今熱い男3人をあげるなら、僕と彼ともう1人を僕はあげる。彼は元々はスポーツマンで体格も運動センスも良い。しかし違う方向にいってみようと決意し哲学科にいるサーファー&アサラト(リズム楽器)野郎だ。ちなみに彼とはバンドを組んだこともある。
彼が話していた事それはこうだ。
▶大事にすること
それについて色々と考えてみた。自分は近くの人を大事にしているのか。そもそも、大事にするとはどういう事なのか。両親、兄弟、彼女、友人。などなど色んな種類の「近くの人」がいて、それぞれで大事にする方法が違う。少なくとも一つ言える事はそれが「愛」と呼べることだ。1人の人を幸せに出来ない人が多くの人を幸せにできるわけもない。などというどっかの映画で聞いたような奇麗事も頭の中に入るようになってきた。それが偽りかどうか確かめるわけではないが、近くの人を大事にすることを試みてみようと思う。ある種それは、スピリチュアルな匂いもするが、やってみる価値はある。
▶ノート
今日は部屋の掃除をしていたのだけれど、探そうと思っていた大事なものは見つかっていない。しかし懐かしくて大事なもの読み返した。それは高校2年から書いている日記帳3冊と、高校の恩師からの言葉だ。今日は今使っている日記帳のためにカバーを作っていて、その矢先に昔の日記帳を見つけた。今振り返っても、心に響く引用だったり感じた事を書いていた。もう一つは恩師からの言葉だ。以前、彼と久しぶりに会った時に、何とも素っ気ない態度をされてしまって傷ついたため、罵倒していた。しかし、彼は私を教師として愛していてくれたのだと気づかされた。 今あるノートのカバーを作り、恩師に会いにいこうと思った今日だった。そして大事なモノを探さないといけない。
▶気づいた
それが自分の問題点だなと今日気づいた。今までは理想ばかりを追って生きていたように思う。自分はこんな人間だからこれができるはずだ。自信をもつこと、ナルシストである事は無意味ではない。「自信はOK 過信はNG」とベッキーの本に書いていたけれど、その通りだ。過信しているつもりはなかったし、過信しないために自分を疑い続ける事が重要だ。とこの記事で書いたばかりだ。
▶棚橋弘季
最近気になっている大人が2人いる。そのうちの1人が棚橋弘季さんだ。彼がfacebookでこう呟いていた。
"自分たちは何者かを問い直したほうがいいね。この国の国民はほぼ全員。
お前は誰か?と他人に問うのではなく、まず自分が名乗るのだというのを武士の様にとうぜんと考える発想を思い出さないと。
自分のアイデンティティもまったく明確でないくせに、他者にばから、外にばかり、それを望むみっともないクセはもうやめたほうがいい。
そのみっともないクセに対して不信任案を出したいね。"
▶アイデンティティ
自分のことを考えてみる。アイデンティティを明確にしていないことは明確だ。近頃、悶々としていることは月並みな悩みではあるが、理想と現実の差だ。だから疲れてしまった。具体的には、由利本荘市で'由利本荘かふぇ'という由利本荘かふぇを開く事と'フリーペーパー'を出すというのが自分の団体の目標ではあった。しかし、自分の実力と仲間の数では由利本荘かふぇのみで精一杯だったのだ。仲間を集めようと30代の人に頼んでみたりしたものの、前屈みではない。いわゆる老害であり、'オッサン化'だ。結局は若者のその行動を客観的に見ているだけだった。それに屈してしまった自分も悔しいけれど、それを動かすほどの力が欲しいと思った。そして自分は若者のそれに前屈みで話しを聞ける大人になりたい。
「大事な事を忘れないための5つの方法」などというテーマにすれば完全なるライフハック記事になってしまうが、そんな記事を書く気はさらさらない。とても個人的なことを書きたい。
▶友人との話
自分にとって本当に大事なものとは何なのか。それは身の回りの人なんだろうと思う。Mr.Children の「彩り」という曲で、目の前にある単純作業が回り回って目の前の人を幸せにしている。という主旨の歌詞がある。近頃、ある友人と電話した話しがこの話題と繋がる。高校の友人で今熱い男3人をあげるなら、僕と彼ともう1人を僕はあげる。彼は元々はスポーツマンで体格も運動センスも良い。しかし違う方向にいってみようと決意し哲学科にいるサーファー&アサラト(リズム楽器)野郎だ。ちなみに彼とはバンドを組んだこともある。
彼が話していた事それはこうだ。
「最近調子が良いんだ。その理由は近くの人を大事にしたからだと思う。近くの人を大事にしたら凄く広がっていった。」
▶大事にすること
それについて色々と考えてみた。自分は近くの人を大事にしているのか。そもそも、大事にするとはどういう事なのか。両親、兄弟、彼女、友人。などなど色んな種類の「近くの人」がいて、それぞれで大事にする方法が違う。少なくとも一つ言える事はそれが「愛」と呼べることだ。1人の人を幸せに出来ない人が多くの人を幸せにできるわけもない。などというどっかの映画で聞いたような奇麗事も頭の中に入るようになってきた。それが偽りかどうか確かめるわけではないが、近くの人を大事にすることを試みてみようと思う。ある種それは、スピリチュアルな匂いもするが、やってみる価値はある。
▶ノート
今日は部屋の掃除をしていたのだけれど、探そうと思っていた大事なものは見つかっていない。しかし懐かしくて大事なもの読み返した。それは高校2年から書いている日記帳3冊と、高校の恩師からの言葉だ。今日は今使っている日記帳のためにカバーを作っていて、その矢先に昔の日記帳を見つけた。今振り返っても、心に響く引用だったり感じた事を書いていた。もう一つは恩師からの言葉だ。以前、彼と久しぶりに会った時に、何とも素っ気ない態度をされてしまって傷ついたため、罵倒していた。しかし、彼は私を教師として愛していてくれたのだと気づかされた。 今あるノートのカバーを作り、恩師に会いにいこうと思った今日だった。そして大事なモノを探さないといけない。