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2011/06/22

幸せを造り出す事

幸せの形は様々ある。そもそもそれは形でもない。人が人の幸せを作る、もしくは感じさせることはとても偉大で、恐ろしい事だ。幸せの感じ方が違うように、暴力的で非平和的なものからも幸せを感じる可能性は十分にある。例えば、原子力発電が完成した時、技術者、お偉いさん等等、幸せを感じただろう。原子力発電が悪だと言ってしまえば、それを造り出している原子達に申し訳ない。この場では広い意味で幸せという言葉を用いる。小さな幸せも含んだ話しをしたいからだ。'微笑み'にかけて、 微幸せ と書いて 'ほほえみ' と読んでもらいたい

今回、この記事を書こうとした理由はMr.Childrenの動画をyoutbeで観たからだ。私は中学生の頃にミュージシャンを目指した。その理由はMr.Childrenの終わりなき旅を聴いて自殺するのをやめたからだ。彼らの音楽を批判する言葉に惑わされた故に、みすちる卒業などと意味不明な事を言っていた。20歳になり地震が起こり彼らの楽曲を聴いてみると、微幸せを感じた。彼らの言葉も音楽も人の心に幸せを与えていることは事実だ。それは彼らのみに言える事ではない。少なくとも全てのミュージシャンに感謝をしたい。



微幸せのために私ができることを考えてみた。すると身の回りの人を大切にすることに帰着した。先を見据え過ぎて、足下を見ていないとはこの事だろう。現に自分は地に足をつけていなかったのではないかと戒めたい。


さて、自分が誰かに微幸せを感じさせる事ができるのだろうか。そもそも微幸せを感じさせるという言葉がなんともエゴイズムに満ちていて本末転倒ではあるがこの場ではお許し頂きたい。

(それが妄想でしかないという思考はおいておく。)



2011年となった今、考えたいのはソーシャルメディア上での友人もしくはフォロワーだ。Twitterで数える程度の人とある程度のコミュニケーションをした。おそらく、今後はその数も増えていくと仮定する。彼らとの付き合いで何を共有し、どんな幸せを感じさせることができるだろうか。