最近、ある旅人のブログを読んだ。彼は旅人中の旅人で多くの国に訪れ、各国々の雑貨を買っては売る、バイヤーをしながら生計を建てているようだった。彼のブログには様々なブログエントリーがあり、動画もよくアップされていて世界を旅しながら上手く生きていることが伺えた。旅を長くしているため、彼なりの価値観を持ち、多くのアクシデントにも出くわしているようだった。
彼のアクシデントはぼったくりタクシーの話や、物を盗まれた話、背後から人が近づいてきたから、催眠スプレーで自分を守った。などなど彼の高揚が伝わってくる記事がいくつもあった。
彼が言っていることで面白いと思った物がある。それは、アフリカの地、もしくは発展途上国で騙され続けるな日本人。と言った趣旨の話だ。要は旅行に出る日本人は各国でタクシー代、バス代を現地人以上に払わされている。だからそれに気づいて反抗しよう。ということだ。
確かに、一度降りただけのエジプトやガーナでも料金を上乗せさせられた経験がある。何度も海外に出ている人は回数が多かったり酷い経験をしているだどう。私も数倍割高で価格表示されたら怒るだろう。しかし、若干の上乗せならばまあいいか。と思ってしまう。この記事のブログ主から言わせていれば甘い!の一言が僕の脳に飛んでくる。確かに、騙されていると思うと現地価格で乗車、買い物をしたい。
そもそも、何故彼らは騙し続けるのだろうか。ガーナで物を盗まれた時にも、似たようなことを考えた。そこでいくつかの仮説をたててみる。そこで盗むことは悪であるという思考は横において置いてもらいたい。そして、タクシーを持っているぐらいの生活水準を前提にする。
仮説1
盗みや騙しを働く人々はそれに悪意も罪悪感も感じていないという仮説だ。彼らはコンビニで買い物をしている程度にしか考えていない。もしくは、白人は金を持っているし少しくらい割り増ししても大丈夫だろうと考えている。小学生の頃、友人からカードゲームのキラカードを盗んだことがある。小さかったからかもしがそれなりに罪悪感は感じた。それは人の物を盗んではいけないとどこかで聞いたことがあったからだ。盗みや騙しを働く人々は盗むことが悪いと教えられたことがないのではないだろうか。 ここでは、窃盗常習者による罪悪感の減少については述べない。何故ならそれはどこの国で同じだからだ。
仮説2
盗みや騙しを働く人々は憎しみをエネルギーとして富裕者から金目の物を盗むことを善だと思っているという仮説だ。黒人社会は白人社会に搾取され続けた過去がある故に、白人がアフリカの地に足を踏んだら物を盗んでもいいのだ。という憎しみのエネルギーがその行動にさせているのではないだろうか。少なからず、肌の黒くない人間を差別し忌み嫌う人はゼロではないことは可能性としてあり得るだろう。
仮説3
仮説2と似ているが、富裕者から物を盗んだり騙し取ることで均等になるから、それは善だと考えているという仮説だ。憎しみをエネルギーとしているミクロ視点お仮説2ではなく、マクロ視点な窃盗ということだ。経済的貧困者は経済的裕福者から物を盗むことで安定を取れる。
以上の3つが私が考えた仮説だ。
私は仮説1が基本的な彼らの思考ではないかと思う。インターネットの情報や、漫画、小説、映画を見たとしてもジェットリーという情報の中で、モラルを学ぶ環境は家庭以外にない。家庭環境の良し悪しは日本でも同じことだ。しかし、マラリア、ウイルス等々を原因に桁が違う。そんな中、日本で平成生まれゆとり教育世代である自分がカメラを盗まれた。それはとても小さなことなのではないか。
例のブログで旅人が言っていたことでもう一つ印象的な発言がある。それは、盗みや騙しが多いから発展途上国は経済発展しないのだ。と言うー趣旨の発言だ。僕はこの論点は間違ってはいないと思う。私はそういった彼らの思考に興味がある。今回、久しぶりにガーナに来て感じるのは、彼らは怠けている。読者にはこの怠けをネガティブな意味で捉えないようにお願いしたい。
楽をして楽しく生きたいと彼らは考えている。その延長線上に、窃盗や詐欺もあるのではないだろうか。もちろん、個人差はある。金持ちになりたいから毎日働きたい。と思っている人もいるだろう。しかし、大半は忙しくすることを避けているように思う。それを感じるのが道路だ。道路を横断する際に、筆者は走るのに彼らは走らないことが何度もある。
旅立つ前に友人と「忙しい」この言葉について話した。この漢字は「心」「亡」の二つの漢字でなっている。お分かりだろうが、忙しい=心を亡くす という意味になる。心を亡くすとは何だろうか。心が亡くなることはないとは思うので解釈として「見失う」が適切かと思う。読者は忙しくすることで大事なことを見失うことはないだろうか。少なくとも、筆者はその経験がある。筆者が経験浅く、自己管理や自己整理をうまくで来ていないのも理由にあるだろう。
怠けることで楽しく生きられるだりう。しかし怠けながら生きられるのならば、それで十分ではないか。途上国と呼ばれる国は発展を望み、これからもそれを目指すだろう。発展は「足るを知る」の逆の意味だ。どこで、彼らは満足するだろう。そして、日本はどこで満足するだろう。
あとがき。
団塊世代が退職し始め、ポスト団塊世代や、それよりも若い世代が日本を支え始める。地震を含めて日本は方向転換し始めるだろう。二年間、僕が旅をしている間にどう変わるのか楽しみだ。そして、僕がどうなるかも楽しみだ。
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