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2012/03/16

バオバブはファーストフードの中に

どうもやごです!





昨日は秋田の友人2人が夜10時に遊びにきてくれた。
兄のHPを作るために悶々としていた所に
ふざけた2人が来てくれた

久しぶりという事もあり4時まで話し込んで(?)しまった!
最後は のーびのーび のラーメンを3人で作って
ぐはぐは むしゃむしゃ 笑いながら 食べました!
結果、ポン酢最強という事でした!

ちなみにこの3人は東京組!!(予定も含め)
1人は、早稲田の政治経済学部
1人は、東京に出てきて美容師になりたいチャラ男です。


はい。じゃあ、いっちゃいましょー!
シエラレオネの後のセネガル。
ラストブラックアフリカ!!




黙れ糞ガキども!
長らく生活したシエラレオネを僕はとうとう旅立った。日本だと帰るところにお土産として何かを買う。しかし、西アフリカでは少し違う。何を言われるかというと、「お土産として何かをおいて行って☆」もしくは「ご飯をご馳走して☆」とよく言われる。だから旅立ち前日は子供達によるパーティストライキが夜中に始まりそうになった。(なってない) 結果、いつも通りワイワイしながら、ソフトドリンク(一本30円)を20本を起きてる子供とおばさんに配った。20人皆に感謝されて、とても気持ちよくなった。これが「共有と感謝」なんだなと。

さてさて、僕は5ヶ月もこの町内に住んだ。五ヶ月。 本当に 住んだ。 だから皆悲しんでくれたけれど、唯一涙を流した子供は小学6年生の女の子だけだった。(それも少し寂しいけど、まあOK)子供が僕の腕の中で泣くのは初めてだったので、抱きしめて頭を撫でてあげた。(俺イケメン(キラッ) この女の子だけが泣いてしまったのもわからなくない。何故かというと、彼女は父親を一年前に亡くしているからだ。僕は彼女の弟四歳を僕の息子と勝手に認定していた。だから必然的に?彼女も自分の娘的な存在になる。3歳、4歳の父親がいない子や夫婦仲が悪い子ほどいたずら好きだったというのが素直な感想だ。彼女は小5までは父親もいたので安定していたし、モノわかりも良かった。僕はというと運良く21年間両親を亡くしていない。だから彼女を抱き寄せ彼女の鼻水をお気に入りの半ズボンに染み込ませる他なかった。

旅立ちはとてもあっさりしたものだった。七対三の水と醤油くらいだった。出発当日は日曜日朝七時ということで、やんちゃボーイやんちゃガールズは全員寝坊。起きたのはホストの友人と両親、隣のおばさんだけ。母親の方は涙を流し。友人とは「また。と言って別れた」五ヶ月間感謝。





初の国境
シエラレオネのフリータウンとギニアのコナクリは非常に近い。ちんたらしててもタクシーだと9時間で着く。そこで賑わいを見せるのが 国境 だ。シエラレオネからギニアに行く途中、ギニアの国境は酷い。賄賂チェーン とでも名付けよう。警察と軍がいくつも場所を作って金を取る。変なシステムだったし、知らない人や外国人(僕みたいな)から的確に少しずつ金を食い漁る。そう、スーパーマーケットの試食コーナーで満腹になるようなイメージだ。(たぶん違う)そんな風にしか警察や軍隊も雇用を生み出せないのかもしれない。いや政府は全く関わっていないのかもしれない。いや、南アフリカの大統領ジェイコブ・ズマが子供を持ちすぎなのかもしれない。え、何人?調べてみてよ。え?うん関係ないね。

ギニアの国境については後で書く。僕を乗せたタクシードライバーはギニア人の両親を持つシエラレオネ生まれの白いイスラム服がトレードマークの髭長ジェントルマン。(何故か前歯の左側が奥歯の形をしていた)彼はイスラム教の勉強をするためにパキスタンに行ったことがあるほどの、とても熱心なイスラム教徒だった。彼は何度も僕を助けてくれた。国境を渡る時、2日間ギニアのホストとして、更に食事も奢ってくれた。払うよと言っても「君にお金がないのわかっているから、良いんだ。お金じゃない。そういうのじゃないんだ。」と僕に優しい目と変な前歯で語った。家ではシエラレオネ内戦の個人的な話を聞けたし wikipedia では理解不能だったその内戦の概要も教えてもらった。ギニアは2日しかいなかったけれど、髭長ジェントルマンのおかげで充実したコナクリ生活だった。ギニアはシエラレオネよりも経済的に発展していることが建物の数、質、道路の幅などですぐにわかった。銀行も多かったし、小さな食堂が多くあった。

セネガルへと

その後、セネガル行きのタクシーに3日ほど乗りセネガル、ダカールに着いた。ダカールの国境はギニアとは全く違う。まず国境担当の役人の優しさ。ギニアの国境は、他のシエラレオネ人女性には英語を使い、僕には「仏語が公用語なんだから、仏語話せよ。」と仏語で対応してくださる。その時は髭長ジェントルマンが助けてくれた。その反面、セネガル側は英語で対応。セネガルには余計な検閲など一つもなく、国境から政治的な統治がされていることを財布の重さで感じた(もともと軽いけど)現在、警察と軍の賄賂祭りによって通行者の愚痴で賑わっているシエラレオネとギニアの国境だが、新しく国境用施設が建設中だ。ギニアの大統領は去年変わったばかりなので改善を期待。

セネガルに着いてからは驚きばかりだった。道路の綺麗さ、公共バスが整っている点、植物の変化など。セネガルに入ると少しずつ変化していった。壁と壁に挟まったルパン三世のように、セネガルの間に挟まっているガンビアを境にセネガルの北側から乾燥度が高まっていることが後からわかった。南側にはあったバナナやマンゴー、ココナッツは見なくなり、北側からうあバオバブや針葉樹が増える。砂の色は赤褐色から灰色になった。こんなに乾燥したアフリカもあるんだなと感じながら、砂漠が近づいていることが明らかだった。砂漠に近づいていることは怖い反面、ワクワクした。

セネガルは日本人にとってとても来やすい西アフリカだ。アフリカにはローカルなファーストフードがたくさんあるが、セネガルにはファーストフードを名乗るファーストフードがたくさんある。それを食べるのが一般的になっていると思われる。主にパン系統で、それを4日食べ続けたら便秘になった。食べやすさ、という点でパンを上げた。しかしセネガルフードで忘れてはいけないのが チェブジェンだ。




「待ってました!」
「よっ男前!」

味の濃さは料理する人によるが、米ベースで人参、大根、ナス、魚、オクラ、キャベツと出されたら問答無用で「いただきます」と言うしかない。美味しかった。


とにかく、
セネガルは観光に向いているという印象を受けた。
ビーチの綺麗さ、観光地も多くあるし、フランス語が公用語。
住む場所によってはイスラム教の音楽をずっと聞ける。
基本的に治安はひどく悪くないしチケットも安い。
ただ、現在は大統領選挙前後なので注意した方がいいらしい。
以下の人はセネガルに行くといいかもしれない

1. フランス語を勉強したい人
2. アフリカに興味がある人
3. 海が好きな人



ただ、次回のエントリーは
セネガルを批判的に見たい。