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2012/03/20

海にいる二人


こんばんわ。

今日はお彼岸ということで、お墓参りに行っていました。そもそも、お彼岸とは何なのか、親に聞いたのですが理解していないので調べてみました。

お彼岸と検索するとすぐ良いサイトが出てきました。こちらの黒門アカデミーさんから情報をいただきました。お彼岸についてはこちらに情報が詳しく乗っていました。


お彼岸とは

 
春分、秋分の日を「中日」と呼び、その前後一週間をお彼岸の期間として、最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸の明け」と呼びます。彼岸とはその名の通り「岸の向こう」。その向こう岸とは悟りの世界のことです。様々な苦に悩む煩悩の世界(此岸)に対する言葉ですが、日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、というのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。

だそうです。


 うちの母親はキリスト教徒で、僕は高校、大学とキリスト教のプロテスタントという宗派側です。アフリカを旅していたときはイスラム教の人と暮らしていました。どの宗教もとても面白いと思うので、ふと疑問を持ったら聞いてみるといいかもしれません。日本は情報が溢れています。なのでアフリカの友人たちのように一つの宗教に対して盲目な信仰は難しいと思います。そんな僕は、何か大きな存在が在るとは思っています。それを神、ゴッド、アッラーと人々は呼び名をつけたのだと思います。


 その後に、先日会った友人の二人と由利本荘市の羽後本荘駅すぐ近くにあるという喫茶店に行って来ました。とても、雰囲気が良くて本格派の喫茶店です。店の前には、電子機器の使用を控える張り紙があります。コーヒー一杯の時間くらいは隣人との繋がりを大事にしましょう。という張り紙なんです。とても素敵です。由利本荘でフェスティヴァルやトリエンナーレを開催するときには、そのお店もひとつの拠点だと思っています。


 さて、彼らは僕にとってとても重要な友人たちです。正直なところ、僕の話を理解してくれる地元の友人はとても少ないです。そもそも、僕に友人が少ないということもあります。例えば、町おこしの一貫として「由利本荘かふぇ」を開くから是非きてね!という電話をしても「明日何もないけど、いけるかわからない」と言われ、結局来てもらえません。それは僕の人徳のなさが理由でもあります。そんな僕を慕ってくれるこそ、大事な友人です。

 
 今日の写真は僕のギターです。これは僕の4つ目のギターになります。一つ目は、買って一ヶ月ほどで間違えて壊してしましました。2つ目のギターは、旅にでる際に大きすぎたので友人に売りました。3つ目のギターは一昨年、ガーナから帰国する際に飛行機の中で壊れてしまいました。そしてこれが4つ目のギターになります。1万円以下だったのですが、音も悪くないので愛用しております。そんなギターと久しぶりに曲を作りました。その曲というのも、友人2人へ向けた曲です。彼ら2人とも僕の大事な友人だったのですが、最近カップルになってしまったんです(笑)共通の友人と一緒に、「これは曲をつくるしかない!」ということになり、先程、5分くらいでシンプルな曲を作りました。ということで短い歌詞ですが、それを載せて今日は終わりたいと思います。


海にいる二人/石川純

わたしたち、海の砂浜で
はしゃぐことなく風を。

あなたの汗臭い無防備さが
何よりも私を救ってくれる
あなたは海と空と風

僕はこの街をこの歩き方で歩むけれど
君がそれについてこれるだろうか
振り返ってみると、君が横にいる。

わたしたち、海の砂浜で
はしゃぐことなく海を。

グルーブ、海、夜の星空、砂の音
犬が吠えた。